2012年12月15日土曜日

行政のあり方

ユッケを食べた3人の死亡を受けて「食品衛生法」が施行されたことを見ていると、多くの人は、私達の日常の安全や健康に関わる諸問題を政府に解決して欲しいと考えているようです。

しかし、ここで疑問が湧いてきます。
「国はどこまで私達の生活に関わるべきでしょうか?」

国は、「食品衛生法」に見られるように、私達の衣食住など日頃の生活における安全に関わる諸問題全てに介入すべきでしょうか?社会主義国は失敗しましたが、私達は何でも助けてくれる大きな政府を求めるできでしょうか?私達は、借金を継続してでも今の政府機能を維持すべきでしょうか?私達の政府は何を優先するべきでしょうか?一体、中央政府の根幹的な役割とは何でしょうか?

私は、日本の行政を、中央主導型から地域自主判断型に大幅改革すべきと考えています。

◎大きな中央政府は国民の期待に応えることができるのか?
 現在の政府は、官邸を頂点に、省庁、県、市、町、村を構成する大きなピラミッド構造を形成し運営されています。私達の日常における様々な問題に関し、末端の地域行政が対処はするものの、中央省庁が法を施行し予算配分を掌握しています。そのため、私達は、飲み会の後の「割勘」については目の前で行われるため直ぐに誤りや不正を指摘できるにも関わらず、「国家予算」に関しては遠いところで策定されるため誤りや不正を指摘することができません。
 そのため、中央政府は、はるか何百キロも先の見えない問題を采配しなけらばならず、現場の実情や要望を政策に反映しづらいという宿命を抱えています。

◎政府の機能を維持するべきか?
 道路を新たに建設すれば、建設費用がかさみ税が増えます。同様に、ユッケの調理方法を規制すれば、審査するために独立行政法人への支出が拡大し税が増えます。人口減少とGDP低下により税収の増加が期待できず、また国債発行もいづれ限界に達すると予想される中、政策は拡大おろか現状維持すらできない状況です。今や、政府予算の収支を均衡させるために、多くの政策を削減しなければなりません。

◎国民の期待に応えることができる政府とはどのような政府か?
 トヨタ自動車の工場では、生産ラインで問題が発生した場合、工場長に申し出て判断を仰いだりせず、末端の担当者が状況判断し全体のラインを止め、効率良く工場を操業してます。私達の税金を正しく効率良く使うために、飲み会の割り勘のように、政策を私達により近い所で決定すべきです。そのためには、中央政府の機能を厳選し、中央政府を最小化しなければなりません。

◎国の最も重要な役割は厳選するとしたら一体何でしょうか?
 この問いに対しては、自分達で解決できるかどうかを考えてみることで、答えることができます。例えば、ユッケの調理方法に関しては、「食べログ」などで皆で情報共有すれば、100%ではないにしても個人が判断することで解決できます。医療保障は、個人が民間保険会社と契約することで解決できます。実際、日本の「国民皆保険」は、国民全員が加入する世界唯一の保険制度であり、世界標準から見れば不要な制度です。
ところが、国境線の防衛に関しては、個人で解決できないため軍隊を整備するなど国を挙げて対応せざるをえません。また、外国政府との交渉についても、窓口を集約するため国の重要な業務です。
 そうやって考えてみると、国の最も重要な役割は、国防と外交、通貨管理、そして選挙などごく一部と言えます。

◎その他の行政機能はどうするか?
現在、例えば消防や警察は、地域レベルで対応できています。教育や産業復興、基盤整備、健康・福祉も同様に地域で対応できる問題です。つまり、各省庁を解体するとともに各省庁所管の法律を廃止し、各地域においてそれぞれの実情に合わせて法律を制定し直すべきです。そもそも、1億人の意見を一つの法律に集約することに無理があります。アメリカ等連邦国のように、それぞれの地域において独自の法律を施行する方が合理的です。住む地域によって法律が異なれば、国民にとっても選択肢が増えます。

◎これからの日本の行政をどう改革すべきか?
私は、中央政府の役割に関しては国防、外交、通貨、選挙だけに絞り、地方行政で教育、産業振興、基盤整備、健康・福祉など対応要否を含めて再考すべきと考えています。具体的には、文部科学省や農林水産省、経済産業省、国土交通省、厚生労働省などを、省単位で廃止すべきと考えます。仮に必要であれば、それらを県レベルあるいは県連合(道州)レベルで、それぞれの地位域において再検討すれば良いでしょう。

(おしまい)

2012年11月12日月曜日

日本経済低迷の真相

日本のGDPは1995年をピークに下降し、日本経済は17年間も低迷しています。政策決定者(政治家・官僚)や経済学者・評論家ら有識者は、なぜ、17年間も問題に対処できないのでしょうか?現状をどう見ているのでしょうか?彼らは正しいのでしょうか?
私は、有識者が現状認識を間違えていると考えています。

●有識者の現状認識と対応案
有識者達の意見は、大きく2つに別れ一致していません。

①需給ギャップ説
日本の経済は、需要と供給にギャップがあるため、需要の不足により低迷している。そこで、政府なら、財政出動することで需要を喚起でき、成長起動を取り戻せる。
(参考)内閣府発表 現実GDPと潜在GDの推移

②実質金利高騰説
日本の経済は、物価が下がりデフレ状態にあるため、実質金利の上昇により低迷している。そこで、日銀なら、金融量的緩和を仕掛けることで実質金利を低下でき、成長起動を取り戻せる。
(参考)内閣府発表 名目金利・実質金利の推移

●これまで、実際はどうだったか?
歳出(対GDP比)の推移を見ると、1995年以降、歳出はそれまでと同様に増加しているものの、GDPは伸びていません。つまり、財政出動しても、国債残高が増えるだけで、GDPに影響しません。このことは、有識者の認識と一致しません。
(参考)世界経済ネタ帳 歳出(対GDP比)の推移
    財務省 一般会計歳出総額推移

マネタリーベースと実質GDPの関係を見ると、金融緩和したもののGDPは上昇していません。このことも、有識者の認識と一致しません。
(参考)内閣府発表 マネタリーベースと実質GDPの関係

有識者の見立ては正しくないようです。

●真相は何か?
次の図は、国別の「GDPと人口の相関」をグラフにしたものです。当たり前のことですが、人口が大きいとGDPも大きく、人口が小さいとGDPも小さいことを見て取れます。注目点は、最恵のOECD・非OECD諸国が、同一線(点線)上にあることです。点線を超えて上側に位置する国はありません。つまり、国民1人当たりのGDPには、世界共通の限界があるということです。ここで、この点線を「成長限界線」と定義します。



●高度成長のころはどうだったのか?
次の図は、日本がまだ高度成長期だった1960年当時の、GDPと人口の相関を示したグラフです。日本は「成長限界線」(点線)の下に位置しています。つまり、日本の生産性は、西洋諸国のそれより低く、人口相応のGDPまで成長する余地がありました。

●何故日本のGDPは伸びないのか?
日本のGDPは、1995年にピークに達し、以後下降し続けています。次の図は、ピーク当時のグラフです。バブル景気の勢いが余って「成長限界線」(点線)を突き抜けていたことが分かります。しかし、最初の図(2008年)にもあるよう、現在は「成長限界線」(点線)に位置しています。つまり、ピーク以降の景気低迷は、日本の国民1人当たりのGDPが最恵国の平均に回帰したことの結果です。


●問題の本質
上記で見たとおり、国民1人当たりの生産性には限界があるため、先進諸国では人口の大小がGDPの大小を決定しています。つまり、日本の景気が世界で突出して低迷している訳ではありません。これまでの景気低迷は、国民1人当たりの生産性が世界共通の上限に達しかつ人口も増えない中で、当然の成り行きです。
多くの有識者は、経済を成長させるため、政府支出の拡大や金融の緩和により国民1人当たりの生産性を向上できると考えています。しかし、その考え方は間違えていると言えます。
(おしまい)




2012年11月4日日曜日

それでも地球が回っている


「それでも地球が回っている」は、ガリレオの、「地動説」を唱えたため有罪となり、判決が下された後につぶやいたと伝えられている言葉です。現代の私たちは、地球が太陽の周りを回っていることを知っており、当時の有罪判決を馬鹿げていると考えます。しかし、当時の学術的な権威や政治的指導者は「天動説」を支持していました。当時の最高指導者であるローマ教皇もそうでした。
このことは、昔話であり、情報化が進んだ現代社会と関係の無いことでしょうか?得られる教訓は無いのでしょうか?

インターネットが復旧した今、様々な情報に接する事ができます。それらの情報は、色々な側面や立場を反映して表現されていると考えられます。原発に関する政府発表や中国に関する国内報道を見ていると、溢れる情報に対し本当に正しいのか疑問を感じるようになってきました。

私が幼い頃、父は、度々戦時中の話をしてくれました。
当時父は、六甲山に避難していたため、軍艦を建造していた神戸港の風景をよく観察していました。私が最も印象づけられた話は、大本営発表のことです。大本営はいつも、米軍爆撃機が進水まであと一歩につけた建造中の日本軍艦を爆撃し台無しにしていたにも関わらず、日本軍が米軍爆撃機を迎え撃墜したとの嘘を発表していたとのこと。
私は、子供の頃、政府や報道を鵜呑みにしてはならないと教育された様です。

人を見るとき、肩書きや地位、名声、資格だけで判断し信頼に足りると単純に考えることは危険です。テレビやインターネットの報道に関しても、盲目的に信じることは危険です。出版された本、学校で習った事でさえも同じことが言えます。誰であろうと、情報を見るときは、裏、証跡を確認する必要があります。自分の目や耳で確かめた事こそが唯一の真実です。それ意外は全て「参考」情報と言えます。
(おしまい)


2012年9月30日日曜日

経済学とは宗教

現代社会において、多くの判断が経済学者の見解などによって方向づけられています。政治家や官僚は、私たちの生活に関わる諸問題の政策を経済学者の助言なしに決定することができません。しかし、ここで注意しなければならないことは、経済学は真理を追求する「科学」のような学問ではないということです。
多くの政治家や官僚は経済学を「科学」と同等の学問と誤解しているようですが、私は経済学のことを「人々を統治するための宗教」と考えています。

◎「科学」とは何か?
この問は、とても哲学的です。私は、
 ①反証可能性を持ち、誰でも反証可能な仮説
 ②厳しい反証実験を耐え抜いた仮説ほど信頼できる
と考えています。

例えば、物が地面に落下することに関しては、以下の式で表せます。
 落下速度(メートル/秒) = 9.8 × 時間(秒)
 落下距離(メートル)   = 9.8 × 時間(秒) × 時間(秒)

上記の式は、落下する物体の重さを考慮していない点や、係数を9.8に固定していることに関し、反証できそうです。また、実際に色々な物を落とせば確認できるので、誰にでも反証実験できます。ところが、実際、誰が実験をやっても同じ結果になり、同じ結論に帰着します。上記式を一層裏付けることとになり、結論の信頼性が増します。これこそが「科学」です。逆に、どのような理論でも、「~という、私の主張は絶対です」と述べるだけだったり、実証せず第三者に反証の機会も与えない場合、科学的と言えません。

◎経済学はどうか?
たとえば、慶應義塾大学経済学部の1年生は、「経済学入門」を教科書として勉強しています。この本では、私たちの経済活動を、定性的な理屈とともに、数式やグラフによって数学的に説明しています。「家計の行動」という章を見ると、需要曲線に関する記述があります。考えをグラフにすると以下の図のとおりです。

グラフが示していることは、価格が下がれば買う人は増えるものの、価格が上がれば買う人は減るという考え方です。これは、ものすごく説得力があり、経済学における最も基本的な教えです。経済学者のみならず経済に関心のある方の間でも常識です。

◎現実はどうか?
ところが、上記のグラフや考え方は、日頃の私たちの購買行動を考えると反証に弱いことが分かります。
例えば、私たちは、iPhone5が出たからといって、価格の下がったiPhone4sを買ったりしません。たとえ買うつもりでも、明日に価格がもっと下がると思えば、明日まで買い控えます。逆に、来週ガソリン価格が上がると思えば、既に価格が高騰していても週末までにガソリンを買い足しに行きます。人の心理から見れば、購買意欲のグラフは下記のとおりです。

これは、経済学の教科書と矛盾しています。

◎経済学とは何なのか?
上記のことからも、経済学とは、一見すると科学的ですが、経済学の教科書にある基礎すら実証していない、理論としてはとても弱い「仮説」であることが分かります。実際、マクロ経済学には「貨幣数量説」や「有効需要説」などいくつもの諸説や派閥が乱立しています。また、お互い、言葉や数式で批判し合うものの、反証(実証)実験をしていません。経済学は「科学」ではなく「社会学」です。
ところが、不思議なことに、経済学には、巧みな言葉と数式・グラフを駆使することで、人々を説得するだけの力があるようです。まるで、人々を統治するための聖書の「教え」のようです。これは、まさに「宗教」と同じです。

つまり、「経済学」とは、人々を統治するための、宗教の一種なのです。

2012年9月23日日曜日

日中軍事力の比較

現在の日本と中国の軍事力を比較しました。想像以上の大差です。
日本は、生産設備も備蓄もない状況で、中国と戦争したら明らかに大敗します。

 

比較項目            
     日本      
      中国   
◎人的資源
総人口
126,475,664
1,336,718,015
兵役適齢人口
1,214,618
19,538,534
現役兵
239,430
2,285,000
予備兵
57,899
800,000

◎海軍装備
軍用船舶
110
972
商業船
673
2,012
港湾
10
8
航空母艦
0
1
駆逐艦
10
25
潜水艦
16
63
護衛艦
36
47
巡視船
6
332
 水雷敷設艦
29
52

◎空軍装備
航空機
1,953
5,176
ヘリコプター
690
632
空港
176
502

◎陸軍装備
戦車
902
7,500
輸送車両
5,000
55,850

◎天然資源
石油生産(bbl/日)
132,700
4,273,000
石油消費(bbl/日)
4,363,000
9,189,000
石油備蓄(bbl)
44,120,000
20,350,000,000

出典:http://www.globalfirepower.com/

(おしまい)

2012年9月22日土曜日

正しいゴルフスイング

私は、ゴルフを始めた頃、スイングに関して、「バックスイングで右へ体重移動しろ」とか、「左へ体重移動してからボールを打て」とよく教えられました。今でも、練習場に行くと、上手い方に同じ事を指摘されます。この教えは、日本のゴルフ指導者の間で広く受け入れられ、ゴルフ愛好家の間でも常識となっています。日本のプロは、体重を左右に移動することで成功しています。ところが、体重移動しながらボールを打つ事は、実践してみると難しいのです。むしろ、打球は、全く体重移動しない方が安定します。アメリカのプロには、体重移動しない人がいます。私は、かねてから、日本ゴルフ界におけるこの常識を、本当に守る必要があるのか、疑問に思ていました。

最近、興味深い写真を2枚見つけました。

ラールソン・プロは、スウェーデン出身の左足1本でプレーする女子プロゴルファーです。右足を失った今でも、ヨーロッパ新人ツアーで活躍する選手です。彼女は、右足が無いため、「バックスイングで右へ体重移動」するとこができません。
Caroline Larsson
http://www.carolinelarsson.eu/



サントス氏は、ドミニカ共和国出身の右足一本でプレーするアマチュアゴルファーです。ヨーロッパアマチュアでハンディーキャップ3を獲得する腕前で、プロを目指してフランスで頑張っています。彼は、左足が無いため、「左足へ体重移動して打つ」ことができません。
De Los Santos 
http://manueldelossantos.com/us/index.html

日本プロゴルフ協会のスイング指導要領は、正しいスイングは一つしか無く、「プロの『平均』こそが最も良いスイング」という考え方のもとに作成されているようです。しかし、2人を見て分かる事は、「正しいスイングは一つではない」ということです。

(おしまい)

2012年9月17日月曜日

外務省は世界を味方につけていない

日本国内では、連日、中国における暴力的な反日デモの様子が報道されています。この報道を見て、中国は世界から見放される、などと考えている人も多いと思います。しかし、私は、国内の報道だけで自分の考え方や立ち位置を決める事を、危険と考えます。

ここで、素朴な疑問がわいてきます。世界の報道機関は、今回の騒動をどう伝えているのでしょうか? 世界の人々は、暴力的な中国人の行動を見て、私たち日本人の主張を支持してくれるのでしょうか?

では、反日デモに関する世界の報道をインターネットで見てみましょう。

◎英国BBC
トップページを見ると、反米運動をトップ扱いするものの、反日運動に関し記載がありません。

アジアをクリックすると反日運動の記事が2段目にありました。しかし、日中貿易への影響を懸念する程度で、運動そのものに関しては紳士的と記載されています。

◎米国WSJ
これまた、一面では全く触れていません。

どこかに無いかと探してみると、米国に対し日中問題に関わらぬよう主張する、中国よりのビデオがありました。

中国の反日デモに関して、世界の報道は、米WSJも英BBCもそして我が日本のNHK(World)すら紳士的と報道していて、日本国内の報道とかなりの温度差があります。

世界は、一歩引いて成り行きを見守っているようです。つまり、日本の外務省は、未だ、世界を味方につけていません。国内の報道や官を鵜呑みにして、自分の考え方を決めることは危険です。勇ましいことを発言する前に、思料深い行動が必要と考えます。

(おしまい)

2012年9月9日日曜日

「行政の中立」とは方便・奇弁


報道番組を見ていると、「行政の中立性」を前提視することがままあります。行政が中立であることは、教育の場でも当たり前のように語られています。
しかし、ここで疑問が出てきます。中立とはなんでしょうか?誰が行政に対し中立を求めているのでしょうか?憲法に中立を定める条文があるのでしょうか?行政は、本当に中立なのでしょうか?本当に中立である必要があるのでしょうか?
私は、民主主義国家において「行政の中立」などあってはならない、と考えています。

◎そもそも中立とは何か?
中立(ちゅうりつ、Neutrality)とは、偏りが無い状態。対立が存在する際に、そのどちらにも与しない第三者の立場のことである。(ウィキペディア)
つまり対立が存在した場合、どちらの見方にもつかず、第三の立場をとるということです。

◎憲法では何を定めているのか?
憲法は、基本的人権や戦争放棄および国会・内閣・最高裁の分担を定めたものです。
憲法15条の1文目を見ると、「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」と明記されています。つまり、選挙によって選ばれた私たちの代表が人事院や「官」を罷免し選定しなおすことは、憲法に定められた国民の基本的な権利です。また、同2文目を見ると、公務員は「全体の奉仕者」としています。しかし、「中立であれ」とは記載されていません。つまり、憲法では、公務員に対し、何かの対立を前提に第三の立場をとることまでは求めていません。

◎大事なことは何か?
ここでよく考えてみると、政策を実現することは、一部の人に利益を供与し、その原資のため、他の人に負担を求めることです。例えば、老人を介護することは働き手に奉仕を強要します。つまり、公務員は、全体の奉仕者としても、国民全員に利益を提供する事はできません。つまり、政策決定過程において、多数決により国民の同意を得ながら進めるしかないことが分かります。
つまり、民主主義において大事な事は、公務員が政策決定や実行において選挙の結果に従うよう、統治の仕組みを担保することです。

◎誰が中立を主張しているのか?
ところが、人事院のホームページを見ると、「公務員は、憲法により『全体の奉仕者』であり、職務の遂行にあたっては中立・公正が求められる」としています。
また、そのため、中立・第三機関をとらなけらばならないとしています。
つまり、中立を主張しているのは「官」です。

◎人事院が主張する中立とは何か?
人事院は何に対して中立で第三の立場であるべきと主張しているのでしょうか?それは、政治的対立です。政治的対立とは、輸出産業を優先するのか国内農家を優先するのかといった、私たち国民の代表同士の意見相違です。つまり、国民の意思であり選択です。ところが人事院は、そのような対立、つまり国民の意思や選択に対して、離れた第三の立場を取るとしているのです。これでは、「官」の理屈で政策を実行でき、国民の選択を担保できません。つまり、民主主義に相反する考え方です。
人事院の主張する中立・公正とは、東洋における伝統的な「官」による支配を復活するための、したたかな方便なのです。

つまり、「行政の中立」とは、国民の「官」を選択・罷免する権利を反故にし、民主主義を踏みにじる考え方なのです。

(おわり)

2012年8月5日日曜日

オリンピックの柔道について

オリンピックの柔道において、日本の男子選手は金メダルを一つもとれませんでした。この成績に落胆された方も多いことでしょう。オリンピックの「Judo」はもはや日本の「柔道」ではない、と嘆いている方も少なくないと思います。しかし、私は結果について、異なった見方をしています。むしろ日本にとって好ましい状況とも考えています。

柔道は日本の伝統スポーツゆえ、テニスにおける「ウィンブルドン選手権」のような、世界に開かれた格式高い試合を、日本で開催することができます。柔道がより世界に広まることで、頂点を目指して世界中から日本に人がやって来ます。そのことにより、日本の文化が世界の人々に知れ渡り、日本に関心をよせる人も増加します。資本はビジネスチャンスとみて日本に投資し、日本の雇用も増加します。柔道の世界振興は、日本の伝統文化を世界に広め、日本に大きな利益をもたらすことでしょう。

女子78kg級では、アメリカのハリソン選手が、アメリカ柔道初となるオリンピック金メダルに輝きました。翌日、PodCastで配信されたWSJのニュースにて、キャスターのゴードン・ディールは、「私は『Judo』を見たことがなかったけど彼女の闘志を見てテレビを切ることができなかった」と、言ってました。同様に大勢のアメリカ人も、決勝試合を通じて、生まれて初めて柔道を見たと思います。ハリソン選手は、その活躍により、全米3億人に柔道を紹介し、「柔道界」に大きく貢献したと言えます。このことは、日本にとっても有益です。

つまり、他国の選手がオリンピックの柔道で金メダルを獲得することは、日本にとっても良いことなのです。

(おわり)


Kayla Harrison
http://www.london2012.com/athlete/harrison-kayla-1134707/


2012年7月16日月曜日

社会保障改革の前に知っておくべきこと


将来に不安を抱え、社会保障に大きな期待を寄せている方は多いと思います。しかし、その前に、保険や年金の基本的な原理を理解しておく必要があります。

私は、「保険」や「年金」と「宝くじ」は、支出に見合った収入が必要という、基本的な原理において同じと考えています。

例えば、「宝くじ」で3億円の当たりくじ1枚を作るためには、当たり前のことですが、300円のくじを100万枚売りさばく必要があります。

式で表せば下記のとおりです。
(支出)3億円×1枚 = (収入)300円×100万枚

つまり、大事なポイントは、99万9999枚の「ハズレくじ」を買った人がいるからこそ、成り立っているということです。

「死亡保険」も同じ原理で成り立っています。例えば、1000人から1万円を集めたとして、999人は生き残るからこそ、1人の遺族は死亡保険金として1000万円を受取ることができるのです。

「健康保険」も同じです。10万円を100人から集めたとして、90人は病気もなく健康ままで請求しないからこそ、10人までなら100万円の治療費を請求できるのです。

「年金」も、基本的な原理は、まったく同じです。100人がそれぞれ50歳まで100万円積み立てた場合、その後60歳までに20人が死亡すれば、生き残った30人で2,000万円を山分けし積み立て以上の額を受給できるのです。

逆に、60歳までに誰も死亡しないなら、年金支給年齢を引き上げ、誰かが死ぬのを待たなければなりません。退職世代の平均年齢が上がれば、支給年齢も上げるか、支給額を下げる必要があるのです。(※現行の国営による老齢年金は、自己積立方式ではなく現役負担方式です。つまり「年金」ではなく「老後手当」です。)

つまり、「恩恵を受けられない人」が大勢いるからこそ、福祉は成り立つのです。国民全員が福祉を受ける事は不可能です。この基本的な「博打」の原理を理解しないまま福祉拡大を求めたら、社会保障問題を解決することはできません。

(おしまい)

2012年5月13日日曜日

コンプライアンスとは権威への屈服


私は、安易なコンプライアンスを「権威への屈服」と考えています。

法律は、国民を統治者するために作られたものであり、国民の価値観は変わるため時代遅れであったり、時には間違ったりします。また、国によって、統治の方法や考え方も異なるため、同じもではありません。つまり、法律は、必ずしもこの世の普遍的なものではありません。

一方で、倫理感は、「人を傷つけてはならない」とか「人の自由を奪ってはならない」など、人類に共通する価値観です。宗教の違いにより異なる部分もあるものの、より本質的な部分には普遍性があると言えます。

法令遵守は大事ですが、悪法をまで遵守する事は倫理的に問題でしょう。ところが、正しい倫理観を持ち合わせなければ、法律の良し悪しを判断できません。それでは、法令を遵守しても法の奴隷になってしまいます。例えば今シリアで法令遵守と言えば、政府に異を唱える民衆を殺害することです。

つまり、倫理観が欠如したまま安易に法令遵守を唱える事は、権威への屈服と言えます。安易にコンプライアンスを提唱する企業もありますが、それは考えものです。大切なことは、コンプライアンスよりも、正しい倫理観を持つことです。

(おしまい)

2012年5月6日日曜日

浜岡原発停止問題に見る法治国家論について


菅直人首相が浜岡原発を鶴の一声で停止させたことについて、「法的根拠のない要請(事実上の命令)を首相が公然と行なうのは言語道断」と、批判する有識者がいます。しかし私は、そういった意見を、稼働継続が合理的判断だとしても、有識者による原発を継続稼働したいがための、ただの「屁理屈」と考えています。

○民主主義における法律の目的とは何か?
法律は国が国民を統治するための手段であり、考え方や手続きを明文化したものです。私は、形式的な法的手続きを逸脱したとしても、また、非合理的な判断であっても、最終的に民意を反映していることが肝要と考えています。大多数の民意と施行された法律が反している場合、正すべき対象は民意ではなく法律です。民意が変われば、法律も変えるべきです。それこそが民主主義における法治です。法律とは、民意を反映して国を統治するために制定された、ただの道具です。私達は、法による支配を受けますが、「法の奴隷」ではないのです。

○福島原発後の民意はどうか?
昨年国民が原発の稼働是非に関して福島の事故を目の当りにし考え方を急変したことは、各紙の世論調査からも明白です。こういった状況で、当時の菅総理は、識者から批判を受ける覚悟で英断し、賞賛に値します。重要なことは、正しいかどうかでなく、国民から支持されているかどうかです。

○浜岡原発停止は本当に違法だったのか?
実際に電気事業法をみると、下記の通り政府には原発の使用を一時停止する命令権限が与えられています。実際には法的にも問題がなかったことが分かります。

[電気事業法]
第四十条  経済産業大臣は、事業用電気工作物が前条第一項の経済産業省令で定める技術基準に適合していないと認めるときは、事業用電気工作物を設置する者に対し、その技術基準に適合するように事業用電気工作物を修理し、改造し、若しくは移転し、若しくはその使用を一時停止すべきことを命じ、又はその使用を制限することができる。

つまり、浜岡原発停止を違法と訴えている人は、よほどの「屁理屈」のプロなのでしょう。

おしまい







2012年3月4日日曜日

日本経済低迷の真相

日本経済は長いこと低迷しています。
その原因は一体どこにあるのでしょうかか?円高による輸出競争力の低下と言う人もいますが、はたして本当でしょうか?

それを確認するため、先ずは、景気低迷がいつ始まったのか、見ましょう。
アメリカと日本のGDP推移を比較しました。
アメリカは順調に経済拡大してきたにも関わらず、日本経済は1995年から横ばいになっていることが分かります。日本の景気低迷が顕在化したのは1995年と言えます。

円高のきっかけとなったプラザ合意は1885年ですから、為替ではどうもうまく説明できません。

それでは、バブル崩壊が原因でしょうか?日銀が金融引き締めに転じたのは1989年末。翌年の1990年に日経平均株価は9ヶ月で半分まで下がり、バブルが崩壊しました。上記のGDP下落の時期とは少しずれています。バブル崩壊がきっかけとしても、それだけではうまく説明できません。

政変が原因でしょうか?日本新党の細川政権が樹立したのは、1993年です。これも少しずれているように見えます。バブル崩壊以後、自民党も含めて首相が毎年変わってきたことを考えると、政変で景気が低迷したと考えるより、バブル経済崩壊によって政治が安定しなくなったと考える方が自然です。

金融緩和が不十分なのでしょうか?いいえ、バブル崩壊以降、日銀はずっとゼロ金利政策を維持してきました。むしろ経済成長していた時期の方が政策金利は高かかったではありませんか。ましてや、デフレの状況では実質金利を下げることはできません。

次の図を見てください。生産年齢(15歳〜64歳)人口とGDPの推移をグラフにしました。

生産年齢人口は1995年をピークに下落し、景気低迷が始まった年と一致していることが分かります。これは偶然でしょうか?私は、「生産年齢人口の減少」が日本の景気低迷をかなりうまく説明できていると考えます。つまり、働く人が減ったことにより、日本全体の収入の伸びが止まり、日本の長期景気低迷を招いたのです。家庭で働き手が遊びふければ収入は減るのと同じ理屈です。難しい経済理論は不要です。とても分かりやすい考え方です。

バブル崩壊で先に収入が減り、そのため、出生人数も減少したのではないかとの意見もあります。しかし、それではうまく説明できません。生産年齢人口は15歳以上を対象としており、その減少は15年以上前、つまりバブル以前に起因するからです。また、バブル崩壊前後の出生人数は横ばいでした。

これを見る限り、日本の景気が長期低迷に至った原因は、1980年以前から始まった出生率の低下と言えます。

生産年齢人口が減少しているにも関わらず、GDPがかろうじて横ばいになっていますが、政府支出の拡大等によるものです。生産年齢人口が減少している状況で、継続はできないでしょう。人口動態推計から、日本の生産年齢人口は、今後も減少し続けることが分かっています。日本の景気は、今後も更に後退するものと考えています。

(おしまい)

2012年2月24日金曜日

中世を引きずる日本

被雇用者は、どこかの企業・集団(藩)に属しないと生きて行けず、企業・集団(藩)に対して忠誠を誓わなければなりません。場合によっては自殺したくなるほどの過労も要求されます。企業・集団(藩)において上位者の指示を断ると退職(脱藩)となり、勇気ある人や能力ある人が自営業者(脱藩浪士)として独立することもあるものの、多く場合は死を意味します。海外で人となりを確認するとき「あなたの仕事は何ですか?」と質問しますが、日本では「あなたはどこの企業・集団(藩)に属していますか?」と聞きます。日本は、いまだ封建制度を維持する「中世の社会」と言えます


渡邉美樹会長発言がネット大炎上 ワタミ側は「自殺社員」の労災認定に反論

http://news.livedoor.com/article/detail/6307742/

2012年2月12日日曜日

日本が世界で生き残るために


私は、日本の伝統的な集団優先の思考や行動様式を変える時と考えています。

自然界には法則があり、強い生物が勝ち残り弱い生物は餌食となります。また、多様な種が存在し、環境変化に適応する種だけが生き残ります。私は、この自然界における法則が人にも適用されていると考えています。

市場経済でも、強い者、賢い者が生き残り、弱い者、愚かな者がカモにされます。グローバル化した社会において、日本が伝統的な「集団主義」を継続し皆が同じ行動を選択すれば、全体が勝利する可能性がある一方で、逆に全体が敗北する可能性もあります。今はまだ国内市場が大きいのでそれほど目立つ事ではありませんが、様々な競争分野で日本の負けを見ると、徐々に大敗に向かいつつあるようにも思えます。

グローバル化した今、様々な課題に対応するため、均一主義、同一主義、平和主義的な教育・思考を改め、多様な人材の排出が必要です。個人や家族においては、日本語だけでなく英語や中国語など外国語も身につけ、他人の考えを伝達するだけではなく持論を確立し、住居地も国内だけでなく世界各地に分散する必要があります。

そうすることで、集団主義を求める人達が世界の餌食となって自然死滅したとしても、日本村から離れた新日本人の誰かが環境変化に適応し、子孫を残すことで、世界市場戦国時代の次においても日本人は繁栄し続けると思います。


(おしまい)

2012年2月6日月曜日

地デジ政策に見る行政の罪


シャープ社の2011年上期(4~9月)業績は、売上が対前年△13%、純利益が△398億円と厳しい内容でした。決算内容を事業別に見ると、テレビ事業の落ち込みが大きく影響したことが分かります。私は、最終責任は経営陣にあるものの、行政の対応にも問題があったと考えています。

○シャープ社の決算
2011年上期の上売を見ると、2010年度と比べ、1,503十億円から1,314十億円へ大幅に低下しました。落ち込みの大きかった分野は、国内におけるAV・通信機器と海外における液晶です。2011年3月のエコポイント終了と、2011年7月の地デジ移行一段落による、需要の急激な縮小に対処できなかったことが敗因です。

○安定した商売に必要なこと
商売は、商品の売れ行きが、最初だけ勢い良く、急激に低下するようでは継続できません。需要は、不安定であるより、安定している方が良いに決まっています。コカコーラやマクドナルドが繁栄し続けるのも、飲食という永続的かつ安定的な市場を事業の対象としているからです。北米の自動車市場が巨大でありながら安定してるのも、保有台数2億4千万台からの買い替え需要が恒常的に存在するからです。日本におけるテレビ製造・販売も、新規設置より、買い替え需要を狙って行く方が、生産設備の稼働率を上げることができ、事業は安定すると言えます。

○政府が実施した事
ところが政府は「エコポイント」などと称して、デジタルへの移行を促進しました。各メーカーは、急増する需要に対応し工場を増設し生産能力を拡大したため、デジタルテレビが急速に行き渡り、生産設備の稼働率を大幅に低下させてしまいました。これでは工場を安定的に稼働させることはできず、雇用の増加も望めません。シャープ社としては、政府がもたらす尖鋭な需要より、自然に喚起される平穏な需要の方が生産・販売計画を立てやすく、生産設備をより長期に有効活用できたはずです。

経済産業省及び総務省は、景気対策等を目的としてエコポイントや地デジ移行の政策を実施しましたが、需要の先食いを喚起しただけで、結果として製造業の経営をより不安定なものにしました。行政とは、私達の生活に関する諸問題を解決するではなく、私達に災いをもたらす組織と言えます。

(おしまい)
シャープ株式会社 2011年10月27日 平成24年3月期 第2四半期 決算補足資料(連結)

2012年1月22日日曜日

放射線に対する考え方


現状の統計分析結果を見て安全と断言する人に不安を感じます。

福島原発の放射線による人体への影響は、これまでの統計分析結果によると、喫煙リスク程度しかないということです。一方で、線量は距離の二乗に反比例し距離が10分の1に近づくと100倍になるので、放射性物質は体内に取り込んでしまうなど極端に近ずけると微量でも影響を無視できない、との考え方に一定の合理性を感じます。

セシウム137が500Bq/kgという微量の放射性物質を、「食べ続けると発病する」という実験結果が無いのと同じように、「食べ続けても発病しない」という実験結果もありません。つまり、人体実験による実証データがなく、真相は「分からない」という状況です。

そのため、統計的分析によって評価している訳ですが、統計的分析は分析の切口や母集団の捉え方によって観測結果が大きく異なってしまい、分析結果が必ずしも真実を表現できている分けではありません。

つまり認識可能な事象の発生確率が低いとしても、実際全ての人に影響が少ないかというと、必ずしもそうとは言い切れない部分が残ってしまします。放射線物質による人体への影響を認識できないのは、統計分析に耐える単位や切り口、測定方法が未だないからかも知れません。実際、甲状腺癌になったチェルノブイリ原発近辺の子供達が100mSv以上受けたのか、発癌した子供と発癌しなかった子供を分けた原因は何だったのか、良く分かっていません。

面白い話があります。私が遠隔地のサーバ運用を任命された時のことです。ある日、遠隔地サーバの正常起動を確認できなかったので、担当の技術者に調べるよう指示しました。担当は手元にエラー通知が届いていないので問題ないと私に報告しました。私は不安となり、現場に直接出向いて動作状況を目で確認するよう指示しました。返ってきた報告は、「そもそもサーバが起動しなかったので、エラーイベントすら出せない状況でした、、、」。このことは、物事が「白・黒」の二値では表現できないことを示唆しており、問題を認識できない場合にどちらと考えておくべきかということを示しています。

微量の放射線による人体への影響有無に関して、未だ証明されていないと考えています。しかし、危険を認識できないからと言って、安全と決めつけることは誤りです。

(おしまい)

ps 私個人は、福島産の農作物などを何も気にせず食べています。

2012年1月8日日曜日

子育負担をしない夫婦には「年金受給資格」がない 〜持続可能な年金制度とは〜

多くの人は、「年金保険料を納めることで将来の年金受給資格を取得できる」「納めた年金保険料相当の年金を受け取る権利がある」と考えています。また、国営年金を「積立方式」にすれば良いと主張する人もいます。しかし、いずれの人も、年金の本質を理解していません。

○年金原資を納めているのは、誰か?
そもそも、国民が納めた年金保険料は、将来の支払準備のために貯蓄されることなく、そっくりそのまま退職世代に渡されています。つまり年金原資は、退職世代の蓄えによるものではなく、現役世代が負担しています。

○年金が破綻する理由
年金の運営にあたり、収支を一致させる必要があります。社会が高齢化すると保険料収入は減少するため、退職者一人当たりの年金受給額を削減するか、現役世代の年金保険料を増加させる必要があります。しかし、冒頭の誤った認識を持つ人が多いため、政治的に実現できず破綻を招くのです。

○「積立方式」で問題は解決するのか?
「積立方式」とは、現役世代に年金保険料の負担を求めるのではなく、国民一人ひとりが老後に備えて積立するという考え方です。はたして問題は解決するのでしょうか?極端な例を考えると分かります。例えば、国民全員が将来の支出に備えた積立を完了して定年退職したと仮定します。担い手である現役世代がいない状況です。この場合、国庫にいくら積立があろうと、担い手がいない状況なので、「定年後は遊んで暮らす」という夢は実現しません。国営年金においては、将来のための積立てができないのです。

○年金問題の本質
国は年金原資を積立ることができないため、国民の年金受給総額は国民総生産を超えることができません。労働人口の減少により国民総生産が逓減するなか、年金受給者が増えれば一人あたりの受給額は減って当然です。年金問題の本質は、受給者と負担者の割合です。

○どうすれば良いのか?
年金を安定して運営するためには、負担者と受給者の割合を均衡させる必要があります。そもそも年金とは、自分を育てた親への孝行と言えます。ということは、子育負担に応じて年金を支給すればよいのです。例えば、子供を3人育てた夫婦には3人分、1人育てた夫婦には1人分の年金を支給します。これにより、負担者と受給者の割合は安定化し年金運営も持続的なものになります。子供を育てるインセンティブも働きます。

子育てを負担しない夫婦に年金受給の資格はないと言えます。

(おしまい)

政府所管の年金に関する誤解 つづき
http://kazukat.blogspot.jp/2011/07/blog-post_09.html

政府所管の年金に関する誤解
http://kazukat.blogspot.jp/2011/07/blog-post_06.html