私は、国家の政策に本質的な矛盾が内在していると考えています。
○所得税の矛盾
政府は違法駐車をする者に罰金を課します。
また、所得を得る者に所得税を課します。
目的や名称は異なるものの、国民から国にお金が移動する点では同じです。
見方を変えれば、働いて所得を得ると罰せられるということです。
○失業手当、年金の矛盾
政府は失業者に失業手当を支給するものの、働き始めると支給を停止します。
また、定年退職し働く事を止めた者に年金を給付しますが、働きつづける者には年金を給付しません。
つまり、政府は国民に対し「働くな」といっているようなものです。
(おしまい)
はじめまして。
返信削除仙台に住んでいる高橋と申します。
面白い記事と思い閲覧させていただいております。
政策の矛盾についてですが、自分は少し違うんじゃないかと考えています。というのも、行政があることによって、道路や教育、水道などの整備が出来るからです。そのようなものこそ直接民主制で行うべきと考えるなら別ですが、効率悪すぎると思います。代表者を選出して議会を開き、そこで必要な公共財とそのための負担について議論し決定し、それを法律にして、そしてそれに従わせるという方法が必要だと思います。強いて言えば立法とは、本質的に多数派による少数派への強制という側面があるというところでしょうか。そして国家の本質もまた、この法律による強制力にあると思います。
当たり前過ぎる話ですが、行政が存在しない地域も世界には多々あり、それらの地域に比べれば行政が存在していることは良いことだと思います。ただ行政が機能するためには民主主義であれば議会が、社会主義であれば一党独裁が、王制であれば王様が必要であり、どれもある程度の手続きは必要であります。
当たり前過ぎてすいませんが以上です。
失礼しました。
高橋様、コメントありがとうございます。
返信削除私は行政を完全に否定するつもりはありません。少なくても、防衛、外交、警察、金融といったサービスは必要でしょう。インフラ整備も時として必要かもしれません。しかし、国鉄は民営化することでサービスが向上し、通信分野でもソフトバンクの参入によりブロドバンドが普及しました。ゴードン・ウーを見ていると道路ですら国の仕事ではないと思えます(http://plaza.rakuten.co.jp/wpfyt191/diary/201111270000/)。
つまり、国は高橋さんが期待している程の成果を上げていないということです。
何故、国は期待する程の成果を上げられないのか?国が役割を担うと、私達国民に選択の余地がなくなり、従事する方々(役人)が横柄になってしまうためです。
つまり、「問題の本質は国にある」といっても過言ではありません。
私達は、多数派による強制をなるべく排除し、もっと自由であるべきです。私達の選択する権利を保障することが重要だと思っています。
>kazuakat さん返信ありがとうございます。またレス遅れてすいません。
返信削除行政の役割、というより、人々が期待する行政の役割で一番疑問に思うことは「経済成長」についてです。行政が介入することで経済が成長するのは、まさに間違った考えであると思いますし、それを自らの使命と勘違いする政治家にも政治家を辞めてもらいたいと思います。ただし、何でもかんでも自由化すれば良いとは思いません。衛生面や健康管理面での規制は重要であると思います。
私自身そもそも国には期待はしていません。ただ、市場では、食品偽造や、薬害の問題など、倫理的な問題を扱うことは出来ないと思います。また、そのようなものを市場に求めるのも間違いだと思います。
私は政府は効率の悪いものだと思いますが必要だと思います。また効率が悪いものである以上、経済的な価値はないと思います。そういう認識を持ちつつ、政府の役割と市場の役割を明確化することが重要ではないかと思います。
高橋様、コメントありがとうございます。
返信削除私達は市場を媒介にすることで、私達の役に立つ企業やサービスを選択することができ、倫理に欠ける企業やサービスを排除することができます。一方で、政府を媒介に選択することはできません。そのため、外郭団体による事業独占、天下りと企業癒着、収賄事件などが後を立ちません。
私には、政府こそ、食品偽造や薬害問題における主犯格であり、倫理問題を扱うことができないと考えます。
高橋様は何故「市場では、食品偽造や、薬害の問題など、倫理的な問題を扱うことは出来ない」と考えるのでしょうか?(逆に政府であれば扱うことができる明確な理由があるのでしょうか?)