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2015年10月17日土曜日

継続可能な政策とはどの様な政策か? 〜自然の摂理と政策〜

 昨今、社会保障やエネルギー保障においてその継続性が問題視され、政策の継続性が大きな政治的関心事になっています。継続可能な政策が求められているなか、そもそも継続可能な政策とはどの様な政策なのでしょうか?

 月は地球の周りを回り続けています。月の遠心力と地球の引力が均衡しているからです。また、地球の表面温度は安定しています。大気がエネルギーを保っているからです。それらは自然の摂理です。

 銅は、本来美しく輝やくものの、空気に触れると酸化しその輝きを失います。銅と酸素が結合すると変色するからです。鳥は、長時間空を飛べるものの、永遠に飛び続けることはできません。飛ぶことは重力に対抗することであり力を要することから休む必要があります。クジラは、長時間潜水できるものの、潜水し続けることはできません。空気から酸素を得るために息継ぎが必要です。これらも自然の摂理です。この世において、物や動物は、自然の摂理を超越して何かを継続することができません。

 蝶は、鳥などの新たな外敵の餌食になるなか、たまたま目玉模様の羽を持った個体や、たまたま環境にカモフラージュできた個体だけが生き残り種を形成しました。生物は、自然の摂理から、環境変化に適応した個体だけが生き残ります。

 ところで、私達人間は、知恵と努力によって繁栄し経済発展を遂げています。この経済発展を今後も維持できるのでしょうか?
 私達人間は、金利を下げたり政府支出を増やし景気を刺激することで、一見のところ永遠に経済発展できそうです。しかし、自然の摂理から、人口が減少すれば経済は後退し、エネルギーが減産すれば繁栄できません。また、産まれながらにして平等の権利を持っており、一見、誰でも生きることを約束されてそうです。しかし、自然の摂理から、戦乱になれば弱い者は殺され、環境が変化すれば適応してない人は絶えてしまいます。私達人間は自然の摂理に反して発展し続けたり生き続けることができません。

 私達人間は、知恵と努力により経済発展をし続けて来たものの、自然の摂理を超越する能力は持っていません。持続可能な政策とは、自然の摂理に適っている政策のことです。自然の摂理に適っていない政策が、いずれ破綻するのです。

おしまい

2011年11月22日火曜日

「トップセールス」は税の浪費


最近、報道で「トップセールス」という言葉をよく耳にします。
国の代表、地方自治体の代表などが、国や地方の産物・産業を他国へ売り込むことです。
首相をトップとする政府は、民間企業との協力体制で、新幹線や原発など行政に近い産業で取り組んでいますが、今のところ成果を上げていないようです。

イ・ミョンバク大統領らによる韓国トップセールスの成功を見て「日本も」と思っている人は多いことでしょう。しかし、イ大統領は零細企業を韓国業界一に成長させた人。世界で最も優れたビジネスマンの一人であり、極めて優秀な経営者です。日本の首相や官僚とは筋が違います。

1990代、アメリカも「日米構造協議」という圧力型のトップセールスを日本に仕掛けました。しかし、その成果はほとんど無に等しい状況です。アメ車は日本で売れるどころか、本国で破綻。牛肉は、狂牛病でアメリカ産はお釈迦、オーストラリア産が売れる始末。アメリカの高官も大統領も「セールス」では全く役に立っていないのが実状です。コカコーラ、マクドナルド、ディズニー、マイクロソフト、インテル等、役人が介入していない分野の方が、遥かに業績が良いではありませんか。

ここで、よく考えていただきたい。日頃、偉そうに威張っている外務省の役人は、頭を下げることがありません。ジュースすら売った事のない彼らに、新幹線や原子力を売る事など、できるハズもありません。また、首相が頭を下げれば、売れるというものでもありません。

以上のことから分かるとおり、国が「トップセールス」で売り込むという発想は、机上の空論です。

外国の高官が日本政府の話しを聞いてくれるとしたら、それは見返りを求めているからです。
そんな「えせトップセール」を続けると、税金を浪費し、私達国民は高い代償を強いられることでしょう。

国は無駄な仕事、税の浪費をやめるべきです。

(おしまい)

2011年11月20日日曜日

「医師国家試験」を廃止せよ

多くの人は国に色々な役割を期待しています。しかし私は、国の仕事をもっと削減すべきと考えています。「医師国家試験」も例外ではありません。

○国策の腐敗構造
私達は、飲み会の後の「割勘」では直ぐに不正を指摘できるのに、「国家予算」ともなると全く指摘できません。飲み会の「割勘」は目の前で行われるのに対し、「国家予算」は遠いところで使われ見えづらいのです。そのため、国が政策を立案すると、政治家の賄賂、官僚による汚職、特定の企業や団体との癒着などを伴い、税金が政官産によって無駄に使われます。
私達の税金を正しく効率良く使うために、政策を私達により近い所で決定すべきです。そのためには、国の役割を最小化しなければなりません。

○例えば「医師免許」について
「医師国家試験」を行い「医師免許」を与えることは、国の重要な仕事の一つとされています。では「医師免許」とは何のためにあるのでしょうか?医療行為の品質を担保するためでしょうか?
ところが、国は各診療科の専門免許制度を設置しておらず、専門外の医療行為を認めています。また、私達は、30年も昔に「試験合格」しただけの医師を、信頼して良いのかも分かりません。「医師免許」だけではさほど品質担保されていないのが実情です。
私には国が重要な役割を担っているとは思えません。

○国の「医師免許」を廃止して問題はないのか?
国による免許制度がなくなれば、誰が「医師」というお墨付きを与えるのでしょうか?自由化された市場経済ではそのような心配は不要です。ニーズがある限り、そのニーズを満たす専門家は自然と生まれるからです。医学会が担っても良いし、民間の評価機関が行っても良いのです。医療事故が増えると考える方は多いと思いますが、私はむしろ減ると考えています。

「国家」は私達の期待に応えていません。税金を有効に活用するためには、国の役割を最小化しなければならないと考えます。

(おしまい)



2011年10月1日土曜日

国の介入を許すな

私は、一般的に常識と思われている事や、皆が当然と思い込み信じて疑わない事を、疑ってみたくなります。

一般に、多くの市民に関わる共通問題については、国や地方自治体が責任の一端を担い対応するべきと考えられています。しかし、私は私たちの生活に関わる諸問題を「国に解決してもらう」との考え方に疑問を抱いています。


◎そもそも、これまでに、国が何を解決してきたでしょうか?

道路整備は毎年年末になると掘ったり埋めたり、無駄な事を繰り返しています。国土交通省は使いもしない道路や橋の建設を推進します。経済産業省は日本の産業力低下を止めることができません。また、電力会社に取り込まれ、原発事故を防ぐことすらができませんでした。文部科学省の教育方針は、子供たちの学力を低下させる一方です。金融庁は金融危機を一向に解決できません。むしろ、認可権をちらつかせ、常に金融機関への天下りを狙っています。厚生労働省はデタラメな年金運営を推進し、薬害エイズやC型肝炎問題を放置してきました。農林水産省は日本の農業を崩壊したがっているようです。

多くの先進諸国においても、公的機関は期待したほど役に立っていません。それどころか、上記と似たような問題を引き起こしています。


◎何故、国は問題を解決できないのでしょうか?

国は倒産することはありません。採用した役人を誰も首にすることもできません。そのため、国家公務員は働いても働かなくても問題さえ起こさなければ、給料はもらえます。彼ら個人から見れば、リスクをとらず、工夫する必要もなく、決められた事を適当にこなすことが最善の働き方です。むしろ、自分たちの退職金を目当てに政策を立案し、国民を食い物にしています。国といっても、その実態は国家公務員という悪の権化です。


◎どうしたらよいのでしょうか?

私たちは私たちの問題について、もっと私たち自身で対処し、国の干渉を否定するべきです。ユッケの調理方法が問題なら、自分たちで情報交換し店を事前に確認すれば良いのです。第三者による査定が必要なら、民間として企業がやればいいのです。放射能による土壌汚染が心配なら、民間ボランティアに依頼すればいいのです。国の介入を許せば、問題は解決されず、国家公務員のカモになるだけです。

(おわり)