2015年9月3日木曜日

下村博文・文部科学相の責任論と民主主義

 新国立競技場をめぐる問題で、下村博文・文部科学相の責任論が広がりつつあります。日本スポーツ振興センター(JSC)を文部科学省が監督していることから、一見当然のようにも思えます。しかし、私は、そのような大臣腹切論に懐疑的です。国家公務員の怠慢による失敗に関し「大臣辞任せよ」と訴える人たちに対し、「民主主義」を愚弄しているのではと思えるのです。

◯国家公務員の失敗について誰が責任をとるべきか?
 私たち国民からしてみれば、国家公務員に起因する失敗については、当然、国家公務員にその責任をとって欲しいと考えるものです。しかし実は、国家公務員法に「降格」という条項がありません。降格条項がないということは、国家公務員の地位や収入を下げることができません。日本は、法律に従い、国家公務員の身分や収入を少なくても維持し保障しなければなりません。つまり、報道されている国家公務員の「更迭」とは、一見罰のようでその実、国家公務員にとって痛くも痒くもない普通の人事異動と同じなのです。

◯なぜ報道は大臣の責任論に言及するのか?
 問題が起きた際、誰も責任を取らないとなると多くの国民は黙っていません。大衆や世論を収めるために、誰かの腹を切る必要があります。国家公務員の腹を切る法律がないことから、大臣が腹を切るしかないのです。

◯国会議員と国家公務員のどちらが、より国民の味方か?
 そもそも、国会議員は、国民選挙によって選ばれたとても大事な「私たちの代表」です。私たちの主権を担保するためにも、日本において最も権力を与えられるべき人々です。一方で国家公務員は、私たち国民が選んだわけでもない私たちと関係のない「赤の他人」です。つまり、国会議員は私たち国民の側に立っているのに対し、国家公務員は日本の利益を考えているとは言え相対的に私たち国民の側に立っていると言えません。

◯大臣を辞任させるとどうなるのか?
 大臣は、国会議員であり首相から負託された私たち国民の代表です。大臣を変えるということは、国民の代表を変えるとともに国民の権力をそぎ落とし、結果的に国民の主権を制限してしまうのです。

◯どうすればいいのか?
 腹切をしたいのであれば、省の実質トップは事務次官であることから、事務次官を腹切対象とすべきです。また、外郭団体への天下り先を決めたのは人事院でもあることから、人事院の腹切も必要と言えます。
 しかし本質的には国家公務員に関する身分保障制度の撤廃が必要です。国家公務員の身分保障制度を撤廃しなければ、1国会議員の責任を追及したところで本質的な問題は解決されず、国家公務員による無責任体制は永遠に繰り返されると言えます。「大臣辞任せよ」と声を上げる前に、国家公務員法に「大臣の任意による降格および罷免」の条項を追加すべきです。

 国家公務員の怠慢によって発生した問題に関して「大臣辞任せよ」と訴える人たちは、実は国家公務員の身分保障制度をよく理解せず、国民の主権を制限しようとしていることから、民主主義を暗黙に愚弄しているのです。

(おしまい)





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