2022年7月11日月曜日

元自衛隊員が議員を暗殺したことの意味


安倍元首相が元自衛隊員によって暗殺されたことは、とても大きな意味を持ってると考えます。

民主主義の国では、選挙で選ばれた人が最も偉い。選挙で選ばれた人は、例え馬鹿であっても、東大法学部卒の官僚、医者、弁護士、ノーベル賞受賞者さえよりも偉いとされているはずです。これは、民主主義の基本原則です。そうでなければ、国民が御旗を見失ってしまいます。

しかし、近年日本では、東大生などのエリートや権威を賞賛する一方で、議員をディスる人が増えた様に思います。人気テレビ番組もそうです。

日本は、アメリカの占領によって民主主義を与えられました。しかし、昨今は、一部の日本人が、無意識のうちに民主主義を否定し、エリート主義、権威主義を標榜している様です。なお、エリート主義、権威主義の極みが中国共産党です。その意味で、日本では、民主主義が揺らいぎ、中国化(権威主義の台頭)していると思います。

ところで軍人は、国家に対する忠誠心が最も高い人のはずです。そうでなければ、国境を守れません。しかし、今回の暗殺は元自衛隊員が実行しました。元自衛隊員は、相手が選挙で選ばれた議員であることを承知の上で実行しました。きっと、先に延べた国民的な風潮の中で、安倍元首相の暗殺を思い立ったのでしょう。

安倍元首相が元自衛隊員によって暗殺されたことは、日本で民主主義が揺らいぎ中国化(権威主義の台頭)していることの表れだと思います。

おしまい

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 https://kazukat.blogspot.com/2014/12/blog-post.html

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2022年3月19日土曜日

報道の使命とは何か?

 

報道は「事実」を伝えていると言われています。果たして本当でしょうか?

日経新聞配は、毎日、市況ニュースを伝えています。ありがたいことに、株価変動の解説をも伝えています。しかし、記事のうち、事実は株価の数値だけです。解説は、尤もらしいものの、ただの憶測です。記事には「納得」が求められてます。

報道各社は、コロナ状況やウクライナ情勢を伝えています。しかし報道のうち事実は、コロナに関しては、ウィルスが伝染したことだけであり、死者数や重症者数は医師による死因分類がされてないことから推測です。ウクライナに関しても、戦争は事実ですが、プーチン悪者説は考え方の一つです。記事には「恐怖」「衝撃」が求められてます。

朝日新聞は、慰安婦報道に関する釈明会見において、報道各社が事実でなく主として「物語」を伝えていることを正直に主張してました。

つまり報道は、実のところ、読み手の求める「物語」を伝えているのです。読み手が、報道から「事実」や「真実」を学べると勝手に考え、誤っているのです。

ところで、某テレビ局の報道倫理を見ると、「報道の使命は真実を広く伝えること」とあります。一方で「真実は神のみぞ知ること」は真理です。つまり報道の使命は、「神のみぞ知ることを広く伝えること」と宣言しているのです。無理でしょう。宗教っぽい感じがします。

報道の使命について、私は、科学が発展し宗教分離が求められているなか、宗教を代替することで、人々を誘導することだと思います。

(おしまい)

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2022年2月23日水曜日

コロナ騒動を振り返る 〜なぜ見立てを誤ったのか?〜 集団催眠

 コロナ死亡者は、日本では、何もしなければ40万人と推測されましたが、現在2万人です。また、スウェーデンでは、何もしなければ8万人と推測されたものの、実際何もしなかったところ、1万6千人でした。しかも、コロナを死因とする実際の件数は、医師による死因分類を行えば、日本でもスウェーデンでも、もっと少ないと考えられます。 なぜ専門家は予測を誤ったのでしょうか?  死亡予測は、統計学の「予測分析」を活用して行われます。この手法は、前提として「統計モデル」を仮定し進めます。ですから、前提である統計モデルが誤っていれば、その後に統計学よって導き出される予測は、何の意味もないものになってしまいます。「統計モデル」の正しさが肝なのです。前提が間違っていれば導き出される結論も間違う、単純な結末です。

 ところで人は、「恐怖」を感じると狼狽し冷静な判断力を失います。投資家も暴落の恐怖を感じると慌てて株を売ってしまいます。俺俺詐欺の被害者も、日頃は騙されないと心に決めていても、恐怖を感じると冷静な判断力を失うのです。
 主要な専門家も同様に、プレッシャーと恐怖から集団心理に支配され、個人としての判断力を失ったのだと思います。閉鎖的、排他的な輪に留まり、自分たちの見立てを外部の力を借りて検証することがありませんでした。そのため、彼らは、統計学の理解や計算に手一杯となってしまい、予測分析と分析解釈に集中し、肝心の統計モデルの正しさの確認を怠ってしまったようです。つまり「集団催眠」にかかったのだと思います。  マスメディアは、ネタに飢えていたことから、実際は意味のないことを、刺激的な予測として「ストーリ」をつけ加えて大々的に報道しました。そのため人々は、強く恐怖を感じ判断力を失いました。政治は、世論に押される格好で追い込まれ、モデルの確認を主張する前向きな意見や、景気後退と自殺増加などの問題を警告する意見を黙殺しました。これも「集団催眠」だと思います。
 では、どうやって回避できるのでしょう?私は、日頃から、「数字を比較する」「小さな不思議に気づく」「素朴な疑問を持つ」ことが大切だと思います。私がコロナ騒動の矛盾に気づいたきっかけは、コロナが話題となる以前に「インフルエンザが不思議な減少をした」ことに気づいたからです。その気づきがなければ、わたも集団催眠にかかっていたと思います。また、対立する意見に心を開くことも大切だと思います。
ご参考 Prof. Mattias Desmet / Mass Formation Psychosis 集団催眠 

おしまい