2011年11月20日日曜日

「医師国家試験」を廃止せよ

多くの人は国に色々な役割を期待しています。しかし私は、国の仕事をもっと削減すべきと考えています。「医師国家試験」も例外ではありません。

○国策の腐敗構造
私達は、飲み会の後の「割勘」では直ぐに不正を指摘できるのに、「国家予算」ともなると全く指摘できません。飲み会の「割勘」は目の前で行われるのに対し、「国家予算」は遠いところで使われ見えづらいのです。そのため、国が政策を立案すると、政治家の賄賂、官僚による汚職、特定の企業や団体との癒着などを伴い、税金が政官産によって無駄に使われます。
私達の税金を正しく効率良く使うために、政策を私達により近い所で決定すべきです。そのためには、国の役割を最小化しなければなりません。

○例えば「医師免許」について
「医師国家試験」を行い「医師免許」を与えることは、国の重要な仕事の一つとされています。では「医師免許」とは何のためにあるのでしょうか?医療行為の品質を担保するためでしょうか?
ところが、国は各診療科の専門免許制度を設置しておらず、専門外の医療行為を認めています。また、私達は、30年も昔に「試験合格」しただけの医師を、信頼して良いのかも分かりません。「医師免許」だけではさほど品質担保されていないのが実情です。
私には国が重要な役割を担っているとは思えません。

○国の「医師免許」を廃止して問題はないのか?
国による免許制度がなくなれば、誰が「医師」というお墨付きを与えるのでしょうか?自由化された市場経済ではそのような心配は不要です。ニーズがある限り、そのニーズを満たす専門家は自然と生まれるからです。医学会が担っても良いし、民間の評価機関が行っても良いのです。医療事故が増えると考える方は多いと思いますが、私はむしろ減ると考えています。

「国家」は私達の期待に応えていません。税金を有効に活用するためには、国の役割を最小化しなければならないと考えます。

(おしまい)



4 件のコメント:

  1. 医療は市場経済にはなじまない.なぜ医療法69条で医療機関の宣伝が制限されているのか? それは市場を構成する人々が,なにが適切な医療なのかを判断できないから.自分の健康状態に対して何を行うべきかを,一般の人が理解できずに宣伝に流されてしまうから.だから健康食品やホメオパシーで被害者が山ほど出ているのに,巧妙な宣伝に騙されて依然としてそういうものはなくならない.

    病人に本当に必要なのはその病気を治療できる知識を持っている医者だが,多くの病人は医者よりも「これを使えば絶対治る.こんな有名人も使っている.」などという宣伝文句の方を選んでしまう.それが大衆というもの.コンドロイチンを飲んで膝が直った人など一人もいないのに,あんな高価な「食品」が飛ぶように売れていることがそれを証明している.効果がないことは数多くの研究で証明されているけど,一般大衆はそんなことは知らずに宣伝を信じる.

    もうひとつの問題は「プラセボ効果」.人は何の効果もない錠剤でも,「よく効く」といわれればそれで症状が軽くなる.だから薬物の効果を判定するときは,必ずプラセボ群と薬剤群の間で効果を比較しなければならない.医学知識のない人でも,口先とプラセボだけで大部分の人は症状が軽くなるかもしれない.宣伝をうまくすれば,その「医者」の元に多くの患者が受診するだろう.そして本来は助けられるはずだった多くの人命が失われる.

    したがって医者に関しては,最低限の知識を持っているかどうかを担保するために,公的な試験は絶対必要.市場経済に任せたら,とんでもないことになる.今でさえ,擬似医療の被害者が後を絶たないというのに.

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  2. 「医者に関しては最低限の知識を持っているかどうかを担保する必要がある」ことに異論はありません。しかし、「公的な試験」の主体が国だけでは、選択肢が少なすぎます。国もミスをしますし、「薬害エイズ」事件に見られるよう、時にはデタラメでもあります。むしろ自浄力のない国(官僚等)が問題の震源地であることが多いようにも思えます。「公的」とは「国」だけではないと言うことが私の主張です。

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  3. 江戸時代医療はだれでも看板を上げればすぐにできたそうですね。評判が立てば継続できるし、やぶ医者と思われれば廃業していたそうです。これは極論ですが、クイズ王が必ずしも成功しないようにただ知識があって試験に通っても実践には役立たないかもしれませんね。むしろ知識は求めようとすればいくらでも入手できるわけで、それを使いこなす技量があるかどうかですね。そのような判定を行えるものなら医師試験もよいと思いますが。

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    1. ご指摘の「技量」の有無を第三者が判断することに賛成します。しかし、判断できる主体は「国家だけ」ではないと考えています。

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